大谷かがり会員より、第13回まるはち人類学研究会の案内が来ましたので転載いたします。
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野分の候、益々ご健勝のことと存じ上げます。
第13回まるはち人類学研究会開催が決定し、プログラム等の詳細が決まりましたのでお知らせいたします。どうぞご参加ください。
第13回まるはち人類学研究会
老いや病をめぐる事象を探究する―人類学×看護学
日時:2012年10月6日
会場:中部大学名古屋キャンパス510教室
名古屋市中区千代田5-14-22
JR中央本線「鶴舞」駅名大病院口(北口)下車すぐ
地下鉄「鶴舞」駅下車北へ約100m
http://www.chubu.ac.jp/location/
まるはち人類学研究会
http://maruhachijinruigaku.blogspot.jp/
14時30分~14時40分 趣旨説明
14時40分~15時20分 発表者:菅沼文乃(南山大学)
15時25分~16時5分 発表者:大谷かがり(中部大学)
16時10分~16時50分 発表者:梅田奈歩(中部大学)
17時5分~17時25分 コメント:工藤由美(亀田医療大学)
17時25分~17時55分 質疑応答
趣旨説明
大谷かがり
人類学では老いや病をめぐるさまざまなフィールドで調査が行われ、研究が発表されている。そのテーマは、患者の生活世界、ケアや健康の概念の多様性や多義性、死や生に関する儀礼、臓器移植、介護など枚挙に遑がない。人類学は比較的規模の小さい集団を丹念に調査し、人びとの社会関係をあぶりだすことをその特徴としているが、老いや病をめぐるテーマの場合、病者や老人の身体的状況とその背景に焦点が当たる傾向にある。当たり前であるが、生や死は身体から生起するのであるから、生や死が身近でない人たちにとっては、フィールド自体が非日常的であるし、フィールドの背景には繊細で複雑な事情が存在する場合もある。そのため、調査者では踏み込めない専門家の領域が存在することもあるだろ
う。こういった事情が身体的状況とその背景に焦点を当てさせるのかもしれない。
しかしながら、老いや病に関するフィールドにも社会があり、人びとの関係性がある。したがって今回は3名の発表を通して、老いや病をめぐる事象の主役、患う人、その身体的状況とともに、登場する人びとの関係性やその変化を丁寧にみていくことを目的としている。
池田 [2010]は、各地域の身体や命をめぐる様々な概念や事象を事例に挙げ、臨床にかかわる様々な事象を相対化し、臨床での医療者優位のあり方を批判した。池田は、看護の人類学研究を整理したうえで、看護は看護師と患者の相互行為であるが、既存の研究では看護師から患者への一方通行の行為に焦点が当てられており看護師が見えてこないことを指摘する。そのうえで、患者と看護師の相互行為として看護をとらえることの重要性を説く[池田 2010]。
しかし、身体や命をめぐる様々な事象を相対化するだけでは、患者と看護師の相互行為に焦点は当たらない。私は臨床で看護師として働いた経験や病院での実習指導を通して、看護師は、看護は患者と看護師の相互行為であると自覚していると思う。そうであるならば、自覚的に相互行為を取り上げる必要がある。
また、また身体や命をめぐる場にはいくつかの社会的空間が存在する。たとえば病棟は、患者にとって治療を受ける場、眠ったり食事をしたりするプライベートな生活の場である。これに対して看護師にとっては職場である。このように病棟が複数の社会的空間が接合している場であることをふまえて、看護を取り巻く人びとの関係性とその変化、病棟での看護師と患者の社会的空間の接合部分にも着目したうえで、詳細な記述と分析をすることが求められる[大谷 2011]。
今回の発表で菅沼が取り上げるのは、沖縄県都市部に位置する滞在型低賃貸アパートに居住する老年者と他居住者及び地域との間で構築される/構築されない社会関係である。大谷は、自身が看護師として働いていたときに患者との関係性の中で感じた戸惑いと動揺を解消するための経緯を発表する。梅田は、梅田自身の臨床看護師時代のエピソードもふまえつつ、愛知県内に暮らす高齢者が「転倒」に向き合い、折り合いをつけていく事例について発表する。
また、今回は看護学者、看護学者であり人類学者、人類学者が発表する。3名の発表を通して身体や命をめぐる事象のとらえ方に関する、看護学から人類学へのグラデーションを提示することができるだろう。ここに身体や命に関するフィールド、もしくは看護に関するフィールドに関心を持つ人類学者の一助となる「何か」が提示できるかもしれない。
参考文献
池田光穂
2010『看護人類学入門』文化書房博文社。
大谷かがり
2011「書評 書評:池田光穂著『看護人類学入門』」『文化人類学』76(3): 356-360。
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